大慈寺‐志布志駅から徒歩10分、薩摩の偉人ゆかりの臨済宗のお寺へ行く

投稿日:2021年12月4日 | 更新日:2023年9月28日

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志布志駅の散策ではいろんな所をブラブラしたのですが、ここはあえて大慈寺だけを徹底的にご紹介したいと思います。といいますのもこのお寺、境内がとにかく緑豊かで、南国っぽい木も生えてて、独特の美しさをもってるんです。

歴史的に見ると、明治時代に廃仏毀釈で一時は廃寺になったところから再興したなんてドラマもあり、さらに西郷隆盛や大久保利通ゆかりのお寺という一面もあります。

そんな見どころいっぱいの大慈寺へ行ったときの話をしていきます。では出発です!

※2021年12月現在の情報をもとに書いております(撮影日は2019年3月)




大慈寺は志布志駅から徒歩10分【アクセス情報】

志布志駅から大慈寺までは、徒歩約10分でアクセスできます。

志布志駅を出て県道508号線を右手に進むと、こんな感じで案内板が出てくるので、指示通りに行けば着くかと思います。駅内にある観光案内所でマップももらえますよ。

途中でレトロな建物を見られるので、散歩も楽しいです。

そして大慈寺の門前に到着。ご覧の通り、緑に囲まれてほかとは違う雰囲気を放ってるので、きっと通り過ぎることなく見つけられるでしょう。




廃仏毀釈から再興した、大慈寺の歴史と仁王像

門をくぐる前に、まず最初の見どころを。それがこちらの鹿児島県指定有形文化財の仁王像(蜜迹金剛立像:みっしゃくこんごうりゅうぞう)です。

大慈寺は1869年(明治2)の廃仏毀釈によって廃寺になり、仁王像も破棄されて土の中に埋められたのですが、10年後の1879年(明治12)に大慈寺が再興したのに伴って、再び土の中から掘り出されました。

ついになってた像は土中から見つけられず、同じく廃寺になった福寿山海徳寺の仁王像をここへ持ってきたのだそう。どちらの仁王像も作者・寄進者は同じ人です。

仁王像を見たあと門をくぐると、「ウサギとカメ、カエルとカッッパさんの遊ぶ庭」と書かれた謎のプレートを発見。廃仏毀釈からの急なほのぼの感!

確かに、枯山水の庭園にウサギとカメがいました。かわいい。

そして堂々と座るカッパさんも発見。「よくきたなあ、まあすわれ」とのお言葉もいただきましたが・・・

カッパさんの前はこんな感じで通路なんよ。。というわけで、本堂に向かいます。ちょっと分かりにくいですが、通路の奥に猫がいます。私を見て固まってたので、前進せず引き返すことにしました。

そういえばカエルさんを撮り忘れた。現地で探してみてください。




南北朝時代に創建された、臨済宗のお寺「大慈寺」

では、石段をのぼって本堂に向かいましょう。

大きくて立派な本堂!華やかな彩色は施されていないものの、重厚感があります。ここで、大慈寺の歴史に触れておきましょう。

1340年創建、臨済宗妙心寺派のお寺

大慈寺は南北朝時代の興国元年に創建され、680年以上の歴史があるお寺です。正しくは龍興山大慈廣彗禅寺といいます。創始者は中国で8年修行して戻ってきた玉山玄堤和尚。臨済宗妙心寺派です(妙心寺に行ったときの話はこちら)。

室町時代には京都五山に次ぐ全国的な拠点に数えられ、中国との交易の窓口になりました。

江戸時代には助さんが来山、明治維新にも一役買った大慈寺

江戸時代の志布志はアジア交流の拠点となり、歴史的な有名人もたくさん足を運びます。その中で水戸黄門でおなじみの助さんが、大慈寺を訪れたそうです。

幕末になると64代目の柏州和尚が、薩摩藩の最高権力者とされる島津久光と朝廷を結び付けるきっかけを作り、明治維新に一役買いました(ざっくりした説明なので、詳細は現地の案内板でご確認ください)。

明治時代に入ると廃仏毀釈により廃寺となりますが、当時100名の修行僧がいたそうです。

大慈寺の手水舎、水溜。昭和6年(1769)と書かれているが、西暦が合致しない。どういう意味なんだろう。昭和に修復したのかな?

竹を使ったひしゃくが個性的でした。

本堂の中は人でにぎわってたので撮ってません。写経や座禅ができるらしいです。本堂から左右にのびる廊下を歩きます。

ここでもきれいな日本庭園を見ることができました。本当に緑が多いです。

毎月18日ご開帳される、聖観世音菩薩像

私は見られませんでしたが、大慈寺が再興した際に柏州和尚が比叡山から招いた観音像が毎月18日にご開帳されるそうです。スケジュールを合わせられる方は、このタイミングで訪問するといいかもしれませんね。




薩摩の偉人とも縁がある大慈寺

本堂を出て境内を散策。南国っぽい木が生えてるお寺って珍しい気がします。

苔に覆われてきれいです。

こんな感じで歩いてると、柏州和尚らの墓所へと向かう案内板を発見しました。

行ってみると、志布志城主で大慈寺創始者の玉山和尚に帰依した楡井頼仲や柏州和尚らの墓石がありました。

柏州和尚のお墓は楡井頼仲のお墓と対面しています。柏州和尚が生前から「殿様とひざを交えて語りたい」と話していたそうで、その遺志を尊重したのだそうです。

また柏州和尚は、西郷隆盛や大久保利通といった薩摩の偉人との関わりもあったと伝わっています。

45代住職・龍雲和尚の墓もありました。龍雲和尚は秀吉の命を受けた島津氏によって、琉球へ送られたそう。琉球王国と徳川幕府の間に立ち、薩摩藩が琉球を領有することを認める黒印状を幕府から受け取っています。

また布教活動にも尽力し、大慈寺は琉球の僧侶らの学問所にもなっています。




大慈寺の周辺には、あの有名な志布志市役所も

こんな感じで大慈寺の境内を散策したのち、ふたたび志布志駅へ。そういえば、すぐそばに志布志市役所がありました。

志布志市役所っていえば「志布志市志布志町志布志の志布志市役所 志布志支所です」って書かれたゲシュタルト崩壊しそうな看板が有名なんですが、うっかり撮り忘れちゃいました。こちらも現地で見てみてください。

(カ)ンバン・・・。帰りもレトロな建築を楽しみながら駅まで歩いたのでした。

大慈寺の魅力、伝わりましたか?ウンチク多めで疲れちゃってたらすみません。日南線の終着駅・志布志駅に降り立ったときはぜひ、足を運んでみてくださいませ。

では、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

大慈寺の基本情報

所在地:鹿児島県志布志市志布志町志布志2-1-19
アクセス:志布志駅から約5~10分
駐車場:30台分あり
料金:拝観無料

公式サイトはないので、鹿児島県の観光サイトで最新情報をご確認ください。

鹿児島県観光サイト
https://www.kagoshima-kankou.com/guide/10995/

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