投稿日:2020年10月30日 | 更新日:2023年9月28日
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今回は柏原駅の散策編です。前回の駅探索編でお伝えした通り、駅前には柏原宿への案内があったので、それを参考に歩いてみました。
前回の記事の写真だと、木の柱にうっすら「柏原宿」と書かれてるだけで、「これで参考になるの?」と不安に思われるかもしれませんが、実は近くにもっと詳しく書かれた案内板がありました。では、さっそく行きましょう!
柏原駅から中山道・柏原宿へ
こちらの地図を見ていただくとわかる通り、真ん中に柏原駅があって、左右に柏原宿が広がっています。なのでまずは、駅から出て右手(地図だと左側)に向かって歩くことに。
その後、反対側も歩いてみました。こうやって見ると大した距離を歩いてないみたいですが、2泊3日分の荷物が入ったボストンバッグを肩にかけながらおばさんが歩くにはギリギリの範囲なのでお許しください。
というわけで柏原宿を出発!駅前の道をまっすぐ歩くと突き当りに食堂があるので、そこを右折します。歩きながら簡単に柏原宿について紹介を。
柏原宿は中山道69宿の内61番目にあたり、その規模は大きく、宿場の長さは69宿中10番目なのだそう。そして、伊吹もぐさが名物です。
もぐさはお灸に使われることで耳にしますね。ヨモギの葉の裏にある繊維を精製して作られるんだそう。
わりとすぐに、宿場町の名残を感じさせる建物が見えてきました。
現役バリバリのお店もあります。看板に味があっていいですね。
いきなりの百貨店!お野菜や植物の種など、いろいろなものが売られてました。
途中、気になる小路を見つけたので立ち寄ってみることに。
奥には西来寺というお寺がありました。こぢんまりとしてるけど、木や花に囲まれてきれいでした。
お寺を出たら石垣の上に黒い子猫がおりました。耳がペタ~ンとなってる。怖がらせちゃったかな…。申し訳ないので、すぐに退散しました。
ここは旅篭屋跡のあたり。旅篭屋は「はたごや」と読み、要は宿屋のことです。例のごとく私は読み方が分かりませんでした。
案内によると、江戸時代の1844年(天保14年)、ここ柏原宿東部と西部の御茶屋御殿あたりには22件の旅籠屋があったのだそう。
「22ね、ふーん」とスルーしてしまいそうですが、結構近距離にほかの宿場町があるのに、それでも22も宿があったというのは珍しいことだそうで、いかに柏原宿がにぎわっていたかが分かります。
澁谷佐治郎酒店です。壁に掛けられた案内板には、『柏原宿本陣、南部家「風雅の道」』という見出しで、柏原が奥の細道や松尾芭蕉と同じ時代の俳人の句集に登場したことが書かれていました。
柏原宿は本陣などの建物は残されておらず、あくまで跡地のみの案内となりますが、中にはこうした歴史のプチ情報を教えてくれる案内板もあって楽しいです。
しばらく歩くと、天野川(あるいはその支流)が流れてるところにたどり着きました。
橋を渡るとゆるい下り坂になっており、後ろを振り返ると木造の町家が並ぶ様子を一望できていい感じでした。
右わきにチラッと軽トラが見えますが、これは柏原宿をより観光地化させるために整備しているためです。実は、訪問時の柏原宿は全体的にこういった「誕生間近」みたいな感じで(いやもう生まれてるんだけど)、これからもっと凄くなるんだろうな~と思いました。
横に長い木造建築は、レトロ感あってテンション上がりますね。格子もまた美しい…。
立派な石の道標もありました!
柏原宿歴史館とガラス張りの日枝神社
橋を渡ってからが柏原宿の見どころピークだと個人的には思っていて、その中には米原市博物館・科学館柏原宿歴史館もあります。建物は、国の登録有形文化財に登録されていました。庇(ひさし)が3段構えになってるところが、重厚感を感じられてかっこいいです。
左手は茶屋になっており、ごはん物やスイーツがいただけます。私も食べようか迷いましたが、この後の食事を考えて泣く泣く断念しました。
隣には日枝神社があったので、こちらも参拝することに。
なんだろう、なんか不思議なこの感じ。そうか、壁が全面ガラスなんだ!しかも新品なのかちょっと青っぽい。中身丸見えスケルトン。屋根もよく見る檜の皮や銅板じゃなく、板の上にわら?のようなものがかかってて、もっさりした様子が個性的でした。
境内の奥まで進むと、東海道線の線路が見えたので、電車が来るタイミングなら列車撮影もできそうです。
旧中山道を挟んで日枝神社の反対側にのびる小道に、ヤツの気配を感じ取ってしまった…。
滋賀県で飛び出し坊やを見つけると、撮らずにいられないのだよ。本当いろんな種類があるなあ。
しかも裏側は女の子かい!芸が細かいでしかし。
日枝神社の斜め向かいには、いい感じのショッピングセンターを発見。ちょっと中を見させてもらったら、いろいろ食べ物が売られていました。
大阪のメーカーのお菓子も名古屋のメーカーのお菓子も扱ってて、滋賀ってちょうど真ん中だから関西と中部の食文化が同時に味わえる場所なんだなあと感じました。どれか記念に買いたかったけど、ボストンバッグに肩をえぐられそうなので断念しました。
ショッピングセンターを見たところで、いったんUターン。次は地図の右側に向かって歩くことにしました。
柏原宿東見附跡に向かって歩く
地図の右側は住宅が多めで、その中に史跡があるという印象でした。
ただ、歩けば歩くほど道場分岐してその先にいろんな見どころがあることが分かってきました。どこも気になるけど、体力と残り時間を考慮して、一番近い照手姫笠地蔵(てるてひめかさ じぞう)を目指すことに。
道中には立派な八幡神社もありました。
そして、柏原宿東見附跡もありました。簡単に言うと、柏原宿の東側の入り口です。もちろん西側にも見附があり、どちらも貴人が柏原宿に着いた際、宿場役人がお出迎えする場所だったそうです。
というと、ここから先は柏原宿じゃないってことか?まあいいや、ここまで来たら照手姫笠地蔵に会いに行こう。
照手姫笠掛地蔵でフィニッシュ!
そんなわけで、照手姫笠地蔵に到着です。小さな祠にお地蔵さまがいらっしゃいました。あと、分かりにくいですが右側の壁にはベンチが設置されています。
ちなみに、右側が照手姫笠地蔵です。もともとは蘇生寺の本堂にあったのだそう。このお地蔵さんには伝説があって、ざっくり言うとこんな感じです。
小栗城主の助重が毒酒を飲んであやうく命を落としそうになり、これを悲しんだ愛妾の照手姫が、彼を乗せた車を引いてここまで連れてきました。そして道端のお地蔵さまに自分の笠をかけて「彼を助けて」と祈ったところ、アドバイスを得て無事全快したそうです。
そのお礼に蘇生寺を建てて、お地蔵さまを祀ったのだとか。でも、後にお寺が燃えちゃったのでここに連れてきたというわけです。
照手姫が必死に車を引く姿は狂女のようだとも言われ、それにまつわる伝説がいろんな土地にあるそうですよ。いつか行ってみたいですね。しかし、愛する人のために一生懸命だったんだから狂ったと言わなくてもいいような…。
くったくたになったので、最後はベンチで休憩。振り返ると、電車が走ってるのが見えました。私が乗る電車も間もなくやってくる…ということで、この後は駅まで大急ぎで戻りました。
こんな感じで柏原駅からの散策はおわりです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。